こんばんは。
今回は妊娠、出産、産後、3回に分けてお話ししたいと思います。
本日は妊娠編です。
妊娠・出産。
楽しいマタニティーライフを送って、マタ旅で最後に夫婦の思い出作りなんかして……。今考えると楽観的だった自分にがっかりします。
妊娠21週で「明日産まれてもおかしくない」と医師に言われた、ちょっと暗くて最後はハッピーエンド?なお話しです。
入院は突然に…
15週で安定期に入りました。
悪阻も落ち着き、体調も悪くない日々でした。
1つお腹の張りがあることだけが気がかりでした。
ネットで調べても、「横になって治まれば大丈夫」「痛くなければ大丈夫」なんて書いてあって特に気にしていませんでした。
一応、看護師さんにお腹が張ると言っても、「すぐに治まるなら大丈夫」と。
その後、母と義母と夫くんと4人で戌の日のお参りにも行きました。
母と義母にお腹の張りを伝えると「この時期には張らなかった気がする」と。
さすがは先輩です。
30年も前のことだけど覚えているようでした。
そして、21週の検診の時です。
いつも検診時は夫くんが付き添ってくれていました。
いつも通り腹部のエコーをしていると先生が「あれ?赤ちゃんが下の方にいるなぁ」と。
夫くんが「お腹の張りがあるんです」と。
先生が内診もしましょうと言い、内診をすると「え!?今何週だっけ?点滴の用意をして」とカーテンの向こう側がバタバタしていました。
一気に不安が押し寄せてきたところに先生が「すぐに入院をします。本来なら子宮頸管が4センチほどあるのだけど、1.5センチしかありません。張り止めと抗生物質の点滴をします。切迫流産です。」と言いました。
当時、昼間は仕事をし、夜は社会人入学をした大学に通っていました。
無理をしていないと言ったら嘘になるでしょう。
ただただ、赤ちゃんを優先できなかったと後悔しました。
NICUのある病院へ転院
炎症反応があり、相変わらず子宮頸管が短いことからNICUがある病院に転院することになりました。
22週0日の時です。
初めて乗る救急車は乗り心地が悪くなかったです。
大きな大学病院に着き、分娩室へと通されました。
そこで一通り検査をし、女医が説明をしました。
「明日産まれてもおかしくないです。子宮頸管はほとんどなく、子宮口が1センチ開いてます」。
初めての出産だった私でもわかる、子宮口が開いてるなんて、ありえない。
どうしてこうなってしまったのか。
その後、女医は胎児の生存率の話(ほとんど亡くなる)、後遺症の話(生存が出来ても重い後遺症が残る)、帝王切開の話、輸血の話。
聞きたくないような話をされ、泣きながら同意書にサインをしたのを今でも覚えています。
夫婦の話し合い
その後、病室に案内されました。MFICUです。
絨毛膜羊膜炎、疑い。
炎症反応があり、胎児が少し頻脈(週数が浅いからかもしれない)。
胎児は元気なので様子見とのことでした。
今まで、考えないようにしてきたことを、現実的に突きつけられてショックで放心状態でした。
そして私は夫くんに「〇にたい」と伝えました。
最低な考えだと思うけど、赤ちゃんのためにできることは一緒に〇ぬことなのではないかと思ったのです。
すると夫くんは私に「鶴子ちゃんばかりに辛い思いをさせてごめんね。僕が頑張ってと言うのは本当に酷だと思うけど頑張って欲しい。今赤ちゃんのために頑張れるのは鶴子ちゃんだけだから。もし、後遺症が残って、一生歩けなかったり、一生喋れなくても僕は受け入れるよ。鶴子ちゃんが頑張って産んでくれた赤ちゃんだから。鶴子ちゃんが現実を受け入れられなくてもいいよ。逃げ出したくなったら逃げてもいい。その時は僕がこの赤ちゃんを一人で育てるよ。」
そんなことを言ってくれました。
私なんかより、ずっと覚悟をもっている夫くんのお陰で私も覚悟ができました。
目標
先生からは「100%予定日までもたない。小児科の先生は優秀だけど、それでも24週までは頑張りたい。やみくもに赤ちゃんを出したいわけではないけれど、赤ちゃんが感染症にかかってしうと予後が悪い。週数と天秤にかけながら、慎重に判断していく。」とのことでした。
ちゃんと見極めていくという言葉にホッとしました。
28週を過ぎると後遺症がない生存率が80%ほどだと説明され、医療の凄さを感じました。
切迫流産・切迫早産の入院中
入院中に高熱を出したり、抗生物質の点滴で薬疹をだしたり、赤ちゃんの元気がなかったり、出血をしたり、兎に角毎週トラブルがありました。
炎症反応は点滴をうっても治まらず、出産までマイナスにはなりませんでした。
唯一健康だったことは、採血を40回以上したけど貧血にならなかったこと。笑
あとは、WiFiのルーターをレンタルしてアニメを見ていました。
東京グールを見ると、赤ちゃんの胎動が激しくなっていました(少しグロいから?)。
(左)クリスマスに夫くんがHARBSのケーキを買ってきてくれた🤤
(右)お正月に義母がおせちを作ってくれた🤤
計画分娩で出産
その後、子宮口は4センチほど開いた状態をずっと保っており、先生たちはまさか予定日までもつのかとそわそわしていました。笑
出産は和通分娩を希望していたので、出産日も決まり、なんと正期産までもちました(;^ω^)
産後に胎盤を病理検査に出しましたが、異常なし。炎症反応もマイナスになっていました(入院中1度もマイナスにならなかった)。
結局、「絨毛膜羊膜炎がギリギリのところで防げたのか、体質なのか、無力症なのかわからない、あの状態で正期産までもつのは数年に一人いるかいないかのレアケース。逆転ホームラン」と言われました。笑
また次の妊娠は期間を2年以上開けて、早めにフォローができる病院に行ってくださいとのことでした。
切迫早産の対策
入院中に赤ちゃんのために気を付けたこと。
夫くんと論文を読み漁って決めました。
・ビタミンCの粉末サプリを飲んでいた
→炎症反応に効く
・ラクトフェリンのサプリを飲んでいた
→切迫早産に効く
・ビオフェルミンを飲む
→抗生物質によって膣内の常在菌が全滅するため
・ストレスをためない
・ちゃんとご飯を食べる
ビタミンCとラクトフェリン、ビオフェルミンのサプリは先生の許可を貰って飲んでいました。
特にラクトフェリンを飲んで1か月後に膣内培養をすると膣内の良い常在菌が増えていると先生が言っていました。
気になる方は担当の先生と相談して服用をしてください。
切迫流産・切迫早産の入院費
入院費は高額医療費制度が使えます(保険証がある人は誰でも対象です)。
高額医療費制度とは同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額を超えた分が、後で払い戻される制度です。
自己負担金額は標準報酬月額で決まります。こちらで確認してみてください。
私の家は区分イに該当したため、毎月の入院費は167,400円+(総医療費-558,000円)×1%の計算で求めます。
MFICUも1泊7万円ほどでしましたが、これも高額医療費制度の対象でしたので、諸費用も含めて、月に18万~20万ほどの入院費でした。
高額医療費制度がなかったら月に120万円ほどしました😇
最初の2か月は月120万ほど支払って後から100万戻ってくる感じでしたが、その後は差し引かれた18万円ほどの請求に変わりました。
また、医療保険が30万円おりました。
医療保険に入っている方は確認してみましょう(^^)
ちなみに出産費用は和通分娩でしたが診療時間内の分娩だったため80万円ほどでした(思っていたより安くすみました)。
出産育児一時金が42万円貰えるため自己負担は38万円ほどでした。
よって、入院費の総額は20万×4か月で80万円、保険が30万円もらえたので……
合計=80万-30万=50万でした。
出産費用38万円を合わせると88万円ですね。
最後に
入院を機にたくさんの人にお世話になりました。
特に先生や看護師さんには感謝でいっぱいです。
夫くんも遠いところ毎日お見舞いにきてくれました。定時に上がらせてくれた職場にも感謝です。
また、インスタで早産の子が元気に育っている姿もとても励みになりました。
長々と書いてしましましたが、当時21週での入院の情報がほとんどなく不安でした。私のケースは稀だと思いますが、1つの経験として共有出来たら幸いです。
世の中の赤ちゃんが元気に産まれてきますように……
※Instagramで詳細なお話を載せています。
よろしければ覗いてみてくださいm(__)m
https://www.instagram.com/tsuru030403/